”こだわり”と”情熱”を

ジェラートに

今の「能登ミルク」になるまでのことを、社長の堀川 昇吾(ほりかわ しょうご)さんに聞きました。
昔、堀川さんは家業の牛乳販売を手伝いながら、スーパーに並ぶ牛乳の横に、倍の値段で水が売られていることが凄く疑問だったそうです。

ものには手をかけた分のコストや品質、それに見合った適正価格があります。そこから「牛乳のブランドを作るしかない」と思い、能登地域37軒の酪農家にブランド化を提案しました。最初に手を挙げてくれたのが酪農家の西出(にしで)さんでした。"能登ミルクブランドの定義9項目"を西出さんが考案し、農薬の影響を取り除くため土壌を整えたり、牛自体も変え試行錯誤を繰り返して能登ミルクが出来るまで7年。

仲間を募って最初は酪農家4軒からスタートし、軌道にのるまでにも多くの苦労があったと言います。
良いものが出来ても、今度はみんなに知ってもらう大変さがありました。
ですが、千葉県の幕張メッセで開催された「FOODEX JAPAN 2013」で、能登ミルクが金賞を受賞したことを切っ掛けに認知度が上がり、また翌年は能登ミルクヨーグルトが金賞受賞し、コンテストで認められた実績が力になりました。

社長の堀川 昇吾さん
店長の堀川 宙さん(娘)

あの印象に残る「能登ミルク」のロゴマークは、堀川さん自らがデザイン。しかし「のうとみるく」と読まれてしまい、「金賞を受賞して喜んでる場合じゃない!名称をちゃんと覚えて貰わなければ」と強く思ったそうです。なので「NOTO MILK」の読み方は後から入れたとか。

そして家族の力も大きいと語ります。

堀川さんの娘、宙(そら)さんは子供の頃から「将来はアイスクリーム屋さんになる」とずっと言っていたそうです。高校の調理科を卒業した宙さんは、東京の「ダルチアーノ」に就職され、日本に初めてジェラートを持ち込んだ植木 耕太(うえき こうた)シェフの下で修行。その後はイタリアボローニャで日本最年少ジェラートマエストロ・マイスターを取得。積み上げてきた経験や実力から、素材の味を舌で確認するだけで頭の中ですぐにレシピができるほど。

今では能登ミルクの主戦力として美味しいジェラートを提供し、お店を飛躍させています。

大変な時期は奥さんの支えがあったから乗り越えられたと感謝していました。
今も仲間と家族の力で成長する能登ミルクです。

目印のロゴマーク

飽きさせない工夫が堀川さんのこだわりだそうで、お店を近々模様替えするため構想中とのこと。まだ足を運んでいない方は是非お店へ行ってみてはいかがでしょうか。

能登ミルク
NOTOMILK FACTORY