イサザの産卵

産卵期は早春から初夏。ちょうど川でシロウオ漁が行われる頃ですね。上げ潮に乗って川をさかのぼり始めると、シロウオはエサを食べなくなります。海と川が交わる汽水域(きすいいき)からほぼ川の水だけになる淡水域、海からおよそ数百メートルから数キロメートルさかのぼったところが産卵場所。中でもほどよく石が混じった砂底が、産卵の一等地になります。

雄が拳ほどの大きさの石の周りの砂底に穴を掘って、卵を生むための巣を用意すると、そこに雌がやってきて天井に卵を産みつけます。この巣の大きさは奥行き5〜11cm、幅10~13cmほどもあり、小さなシロウオにとって掘るのはなかなかの重労働。巣の中でシロウオのカップルは2~3週間を過ごし、産卵に向けて体を変えていきます。この間もシロウオはエサを食べず、雌は自分の体を作っているタンパク質を卵黄に変えて、卵を形づくる準備をします。人の母乳も元は母親の血液が変わってできるものですが、どちらも命をつなげる壮絶さや神秘を感じさせられます。

さて、そんな雌が一度に産む卵の数は500粒ほど。コイの70万粒やサケの3000粒などと比べると、まったく多くありません。長さ3mmほどの楕円形をした卵の片端には、粘り気のある付着糸(ふちゃくし)と呼ばれる糸のようなものがいくつも生えていて、部屋の天井にくっついて流されるのを防いでいます。

卵を産むために文字どおり身を削ってやせ細った雌は、産卵が終わると巣を出て行ってまもなく死んでしまいますが、雄にはまだ仕事が残っています。卵がかえるまでの2~3週間、雄は巣に新鮮な水を送り込んだり、卵をきれいにしたり、壊れた巣を直したりと忙しく働きます。やがて生まれた仔魚が巣から出て行くと、雄も役割を終えたかのように死んでしまいます。仔魚はそのまま流れに乗って海に出て、親が棲んでいたのと同じような藻場で成長します。川で生まれ、海で育ち、また川に戻って卵を産む、たった一年のはかない命の巡りなのです。

イサザの漁

古くから日本各地で獲られているシロウオ。漁は南から北へと移っていき、九州では2月から3月、東北や北陸では3月から5月が最盛期になります。福岡県などでは川幅いっぱいに簗(やな)と呼ばれる大きな仕掛けを作って獲ります。川の中に竹や茅(かや)で編んだダツと呼ばれるものをいくつもV字につなげていき、V字の付け根に網カゴを取り付けます。V字は河口に向いて開いているので、上げ潮に乗って川をさかのぼってくるシロウオが自然に網カゴの中に入ってしまうという、仕掛けは大変ですが効率的な漁です。

漁に使われる四つ手網

また、四(よ)つ手網(てあみ)と呼ばれる道具で漁が行われることも多く、石川県穴水町ではこの四つ手網のことを「ほうちょう」と呼んでいます。石川県で使われる四つ手網の大きさは2m四方ほど。このサイズだと一人で扱えますが、山口県萩市などでは5m四方もある大きなものもあるようです。これは竹などを十字に組んだ腕木に網を張った敷網の一種で、川に沈めた四つ手網の上をシロウオの群れが通りかかったところを引き上げる根気のいる漁です。

石川県では3月から5月がシロウオ漁の解禁時期になるため、春の風物詩になっています。かつては石川県各地で行われていたシロウオ漁ですが、現在では穴水町や手取川(てどりがわ)の河口など一部の地域だけでしか見ることができません。近年、シロウオは環境の変化もあってか年々その数が減っていて、「絶滅の危険が増大している種」としてレッドリストの絶滅危惧Ⅱ類に分類されています。有名な産地である福岡県の室見川(むろみがわ)では、2月上旬になると川底に小石を集めてシロウオが産卵しやすいように川を整備しています。シロウオを守りながら漁を行うことが求められているのです。

イサザの味覚

"いさざ"ことシロウオの旬は、春。食べ方といえば有名なのが「踊り食い」です。生きたままのシロウオを二倍酢や、そこに卵の黄身を加えた黄身酢醤油で食べたりします。個人的には踊り食いを見るたびに「人間が美味しいと感じるのは、基本的な5つの味覚だけではないんだなぁ」と感慨深くなります。基本的な5つの味覚とは、甘味・塩味・酸味・苦味・旨味のこと。まあ、人間は香辛料の痛みの刺激が辛味として美味しかったり、ソバやビールなどののど越しの良さが美味しかったりするので、こんな風に思うのも今更なのかもしれませんが…。

いさざの踊り食い

シロウオは丸ごと食べるのでカルシウムなどは取れますが、小さい魚ですし、そんなにたくさん食べるものでもないので栄養としてはそこそこ。水分が多くてタンパク質や脂質が少ない魚なので、正直言って淡白すぎる味です。ですので、踊り食いにしても味として感じるのは、シロウオよりも二倍酢や黄身酢醤油のほう。それでもこの食べ方を美味しいと好んで食べるのは、小さな魚を生きたまま飲み込む野趣(やしゅ)あふれる行為や、ツルッとしたのど越しの良さに惹かれるのでしょう。ちなみに生のシロウオをよく噛んで食べてもなんの問題もありませんし、卵の甘味や脂を感じてより美味しいという方もいます。

そういえば、どうしても川魚の生食で心配されるのは寄生虫のこと。よく間違えられるシラウオには、腹痛や下痢を引き起こす横川吸虫という寄生虫の報告が見受けられるのですが、シロウオについてはそのような報告を見つけることができませんでした。石川県で発生した食中毒にもシロウオ由来のものはなかったのですが、心配な方は無理して踊り食いで食べずに火を通しましょう。小さい魚なので火はすぐ通りますし、卵とじやかき揚げにすると、ふわっとして柔らかく上品な食感になります。炊き込み御飯にしてもなかなか美味しくいただけます。

かつて筑紫(ちくし/つくし)と呼ばれていた福岡県では、シロウオに火を通すと平仮名の「つ」「く」「し」の形に曲がるということで知られています。雄は「つ」、卵を抱えた雌は「く」や「し」に曲がるそうで、昔からの言い伝えのせいか試した人も多いようですよ。